大坂の陣で、長宗我部盛親がむなしく散ってからことしでちょうど400年になる。
先日、盛親隊が戦った大阪、八尾の常光寺に行ってきた。盛親隊は、八尾・若江で、藤堂高虎隊とぶつかり、激戦となった。その時、藤堂高虎が、長宗我部隊の首実検をしたのが常光寺である。
常光寺には、藤堂隊の戦死者の墓所はあるが、むろん盛親隊のそれはまったくみあたらなかった。ただ、藤堂隊の戦死者の中には桑名弥次兵衛らがいて、その戒名などは確認できた。
弥次兵衛は盛親が改易される前は、長宗我部家の家臣であった。そうしたかつての長宗我部の家臣らが、八尾・若江の戦で、盛親隊と戦い、敗れてこの常光寺に葬られている。常光寺の墓地に立つわが身には、なにか言いようのない複雑なものが感じられた。