2011年11月4日金曜日

信長と元親

 22歳の初夏である永禄3年(1560年)5月。
長宗我部元親は長浜の合戦に参加、戦果を挙げる。
 数の上では劣勢でありながらも
元親は本山軍を破る。
これが元親の初陣である。
 このとき、本山茂辰の籠もる浦戸城も陥している。
浦戸は土佐一番の港を持っていて、
ここから甲浦を経由して、大坂にも、京の都にも行ける。
 元親は、本山が去った後の浦戸の城に登り、
何を思ったであろう。
 この同じ頃、元親と同じ天文年間に生まれた信長は、
都に上る途中の、今川義元を桶狭間で破っている。
 その情報を元親はいつ知ったのか。
いずれにしても、浦戸港を経由して情報も入ってくるであろうし、
元親が、信長に遭おうとの気持ちを持った場合、
都に上るのもこの浦戸からである。
元親は雑賀、伊賀衆とも、通じていたとみられ、情報は
いろいろとっていたようである。
 この桶狭間の合戦以後の元親の最大の関心事は、
当然織田信長に集中することになる。
浦戸城に吹き上げてくる、太平洋と浦戸湾双方からの風の
交わりの中で、長宗我部元親は、きっと天下の形勢に
広く心を馳せていたことであろう。