日本の観光について、考えている観光情報協会
の依頼で先日、講演しました。
そのときのテーマは
「元親が中央に躍り出ることが望めた三つのチャンス」
でした。
それは、本能寺の変、次いで小牧・長久手の戦い、
そして、関ヶ原です。
本能寺の変は、1582年に起こった明智光秀が起こした
主君の織田信長襲撃です。
元親は、本能寺の変の首謀者といわれる斉藤利光の縁続きでもあり、
この光秀の陰謀を事前に知っていたといわれます。
高島孫右衛門による「元親記」にも
「斉藤利光は四国のことを気づかってか、明智謀反の戦いをさし急いだ」
とある。
この戦で、元親が秀吉を光秀とともに
中国戦線に貼り付けさせるために背後から攻めていたら、
歴史は面白かったと思う。
次いで、小牧・長久手の戦い。
このとき長宗我部、徳川連合が出来ていた。
にもかかわらず、元親は参戦に送れをとった。
家康から恩賞も約束されていたのに、である。
もう一つは天下分け目の関ヶ原の戦い。
思うに元親は、もう二、三年生きながらえて、みずからこの戦を
やりぬくつもりだったのではないだろうか。
戦さの気配が近づくに連れて、元親は血肉躍らせていたのでは。
にもかかわらず、彼の命の火は、戦いを目前にして非情にも消えた。
元親は悲運の武将といえるのであろうか。