2010年12月7日火曜日

蠃姓系図

 長宗我部の系図を遡ると、「蠃姓(えいせい)系図」に行き当たる。
ところが、この蠃姓という言葉は広辞苑にも出てこず、現代では
ほとんど使われなくなった、
難しい用語である。
「長宗我部」を執筆するに当たって、「闔国(こう)之部」とか、
なにやらややこしく、古めかしい表記に何度もぶつかった。

 この現代ではほとんどつかわれない「蠃姓系図」というのは、
秦国に由来した系図のことである。
当時、日本には大陸から渡ってきた人々が多かった。
秦氏について、がまさしくそれである。
そして、その系図を紐解くと秦の始皇帝から、
日本に渡ってきた流れが良く分かる。
日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと、
孝安天皇)なども登場してきて、「日本書紀」をひもときつつ、
考えさせられる。
 この系図に長宗我部氏が記されているのだが、その源流となった
秦河勝の時代に、秦氏は全人口の5%に当たる20万人ほどもいて、
大きな勢力を維持していた、という。