2013年9月30日月曜日

夏の夜の夢 「元親公孫」

昭和4年の1月28日に昭和天皇から、

長宗我部家の中興の祖、長宗我部元親に対して正三位が下賜された。
「元親公孫」として、それを受けたのは私の祖父である親(ちかし)である。
その際の、贈位書の箱書きは「贈 元親公孫、十四世親」となっている。
当家の家系は元親の末弟である長宗我部親房(島)から繋がっていて、江戸時代は島姓を名乗っていた。
その二代目は「五郎左衛門」である。

実は、この親房から計算すると親(ちかし)は十五世となる。
天皇家が親を十四世としているのは、元親の次に五郎左衛門(親房の二代目当主)をおいて、それから発して十四世としているのではないだろうか。
そして、この五郎左衛門には謎が多い。
島家を継いで、長宗我部家の血筋であり、元親公から「大恩」を受け、重要な縁者である、ということは残された資料から分かる。
また、明確に記されてあるのは、大坂の陣(1615年)の時に、「二十二歳」であったということだ。なぜこの二十二歳だけ特筆して、後世に残しているのか。
そして、本人の五郎左衛門の直筆のものはなぜ残されていないのか。
このあたりのことをいろんな角度から類推してみた。
「この五郎左衛門は元親56歳のときの実子ではなかったのか」
そう考えるとぴったりと合う。発想が、とっぴ過ぎるであろうか。

智の人でもあった元親は、「豊臣家の崩壊、徳川家康の新しい時代の到来」
を予見し、長宗我部家を残すために、一番遠い、末弟の島家に家の将来を託して、秘匿したのではないか。
また、元親は家康の権謀術策を知り尽くしていたのである。
だから、山内家も五郎左衛門にじかに当主が私信出したり、丁重な対応をしてきたのではないだろうか。