庭の泰山木の花が咲きました。
白く柔らかい花弁が、雨に静かに濡れています。
高知では先週、元親の初陣祭が行われました。
その初陣祭で、四万十に住む若いお嬢さんに
あって、お話する機会を得ました。
生き生きした素晴らしい瞳をもった方で、
そのお嬢さんと話していると、
家康も、それまでずいぶん協力してきた長宗我部家に、
せめて土佐中村(四万十)ぐらい残してくれてもよかったのに、
なぜ、あのように徹底的に深い遺恨でもあるかのごとく
潰してしまったのだろうか。と、考えてしまいました。
家康に遺恨があるとすれば、私が思うには、
それは小牧・長久手の戦いの際の、
元親の出陣の遅れでは、ないか。
それは秀吉が四国征伐を計画した際、
家康は全く「調停」せず、
冷たく静観しているところにも出ている。
家康にしてみれば、「小牧・長久手の戦さで、元親さえ
約束通り、もっと早く秀吉を攻めてくれていたら」
の思いがずっと付きまとい、
相当悔しかったのではないだろうか。
小牧・長久手で勝利していれば家康に
「タヌキおやじ」の異名も
つかずにすんでいたことでしょうしね。