「長宗我部」を著すに当たって、「原則に」
と心に決めたことがある。
それは、末裔が自ら、わが先祖の歴史を書くのであるから、
それに使わせていただく資料類も、出来うる限り、
「末裔」によるものを使わせていただく、ということである。
「土佐偏屈人、による決め方と受けとられてもよい。そうしよう」
と思った。
そして、吉田孝世による「土佐物語」も、私家本であることを
承知のうえで、その末裔である川野喜代恵が
解読したものを基本にした。
ところが、執筆に当たって、本人には一切連絡が付かず、版元も「連絡先不明」という。
そこで、気にかかりつつも、そのまま、
不明な点はこちらの判断で修正したりして、本文にとり掛かった。
本日、「荻窪のカルチャーセンター」の二回目の講義が終わると、
直ちに私の所に二人の女性が、つかつかとやってきた。
ところが、私には女性から近づれた経験が全く無い、ヤツガレは、思わず、
ズズッ、と後ずさりした。
「私らは、川野喜代恵の娘です」「先生が、お書きになった、
川野喜代恵のものを基本的に使わせていただいた、
という一文を母の墓前に報告して、お線香を上げてきました」
「そのために、先日、土佐に行ってきました」。
驚きました。
川野さんのを使用させていただき、よかった。
荻窪で講座を持たせていただき、よかった。
体が浮かび上がったかと思うほど。
カラリと晴れ上がった空。
窓の外を見ると、道路の上を 枯れ落ちたプラタナスの大きな葉が
数枚、風に舞い上がっていました。