2011年5月28日土曜日

泰山木が咲きました

 庭の泰山木の花が咲きました。
 白く柔らかい花弁が、雨に静かに濡れています。
 高知では先週、元親の初陣祭が行われました。
 その初陣祭で、四万十に住む若いお嬢さんに
 あって、お話する機会を得ました。
 生き生きした素晴らしい瞳をもった方で、
 そのお嬢さんと話していると、 
 家康も、それまでずいぶん協力してきた長宗我部家に、
 せめて土佐中村(四万十)ぐらい残してくれてもよかったのに、
 なぜ、あのように徹底的に深い遺恨でもあるかのごとく
 潰してしまったのだろうか。と、考えてしまいました。
 
 家康に遺恨があるとすれば、私が思うには、
 それは小牧・長久手の戦いの際の、
 元親の出陣の遅れでは、ないか。
 それは秀吉が四国征伐を計画した際、
 家康は全く「調停」せず、
 冷たく静観しているところにも出ている。
 家康にしてみれば、「小牧・長久手の戦さで、元親さえ
 約束通り、もっと早く秀吉を攻めてくれていたら」
 の思いがずっと付きまとい、
 相当悔しかったのではないだろうか。
 小牧・長久手で勝利していれば家康に
 「タヌキおやじ」の異名も
 つかずにすんでいたことでしょうしね。